みそ汁タイム

 当工場のある福井県池田町には、語り継がれてきた民話があります。味噌とは直接関係ありませんが、味噌と同じく日本人のルーツがあると思うので紹介したいと思います。取り上げている民話は、武生高等学校池田分校が発行した民話集に基いています。ただ長い話が多いので、大意を損なわない程度に手を加えております。ご了承ください。今後も随時取り上げてゆく予定です。タイトル末尾の地名は、集落の名前です。

 池田の民話(1)小さな阿弥陀様 ―大本(おおもと)

 昔、大本に”ごんじい”という心優しいじいさんがいた。ごんじいの家には小さな阿弥陀様があった。信心深いごんじいは、<どうか阿弥陀様、かかあ(母親)のいる極楽とやらに早くうら(私)も連れて行っておくれ>と願いながら毎日手を合わせていた。ところが阿弥陀様は一向にごんじいの願いを聞き届けてくれない。しびれを切らしたごんじいは、やがてとんでもないことを考えるようになった。<うちの阿弥陀様は小さいから、うらの願いが叶えられんのじゃ。もっといけぇ(大きい)仏様でないとあかんのじゃ。そうじゃ、清水寺の仏様と取り替えよう>。
 思いつくとごんじいは居ても立ってもいられなくなった。さっそく阿弥陀様を風呂敷に包むと、肩に担いで京の都の清水寺に向かった。清水寺は大きく立派なお寺だった。これでいよいよ自分の願いも叶うに違いないと、興奮しながらごんじいは参道を登っていった。もうすぐ本堂に辿り着くという時だった。近くの僧堂から一人の小僧さんが泣きながら出てきた。ごんじいは小僧さんを呼び止めると、「小僧さん、どうしなはったんかいの」と聞いた。すると小僧さんは、「おまえは体が小さいから間に合わんといって、追い返されてしまいました」と答えた。それを聞いてごんじいは「それは気の毒に。小さいから役に立たんなんてひどいことを言うもんじゃ」と言って憤慨した。その時だった。ごんじいははたと気がついた。自分も同じことをしていると。
 ごんじいはさっそく風呂敷包みを開けると、阿弥陀様に「かんねんしておくれの(堪忍して下さい)」といって謝った。包みの中の阿弥陀様は、それを聞いてにっこりと微笑んだということだ。

みその始まり

 当店の工場の前には足羽川という川が流れており、その向こうには水田がある。当集落では5月の20日頃から月末にかけて田植えが行われるのだが、その苗が現在(7月中旬)40~50㎝くらいに成長して、一面の緑になっている。この辺は中山間地域なので、昼夜の気温差が大きくおいしい米が収穫できる。主にコシヒカリが作付けされているが、この米がこうじになり、みそになる。
 みそは大きく米味噌、麦味噌、豆味噌の3種類に分類されている。主原料は大豆であるが、そこに米こうじを加えると米味噌、麦こうじを加えると麦味噌、豆こうじを加えると豆味噌になる。当店では創業以来、一貫して米こうじを配合した米味噌を作り続けている。麦味噌も豆味噌もそれぞれ個性があっておいしいが、米どころの北陸に育った私はなんといっても米味噌が一番おいしいと思っている。そして米味噌には長い冬、深い雪を耐え抜く知恵が脈々と流れていると思う。
 ところで、日本で稲作が始まったのは紀元前4~5世紀、それとともに弥生文化が始まったと言われている。弥生人は稲穂を臼と杵で脱穀し、米は深鍋(かめ)で炊き、高坏(たかつき)と呼ばれる台付きの皿か鉢に盛って手づかみで食べていたと言われている。ではみそはいつ頃から食べられていたのか。この件についてはほとんど資料が残っていないのが実情である。ただ白鳳時代には「醤(ひしお)」という中国渡来の調味料があったと言われており、これが奈良・平安時代に「未醤(みしょう)」となり「みそ」になったのではないかと言われている。どちらにしてもはっきりとした資料はなく、憶測の域を出ない。みそが一般的に普及していったのは、戦国時代に兵士の貴重な食料となってからである。
 それにしても、どんな食べ物も最初に食べた人は勇気がある。こうじはこうじカビからできるが、どちらにしてもカビであることに変わりはない。稲穂に発生したこうじカビが、何かの原因で瓶の中の蒸し米に付着しこうじになる。それを恐る恐る食べてみたら、これが甘くておいしい。それならばと意識的にカビを増殖させて大量に作り始める。これがこうじ作りの起源ではないかと私は想像しているのだが、こうじカビを最初に口にした人には感謝を禁じ得ない。梅雨はじめじめしてうっとうしい季節だが、米がこうじになったのがこの季節ではないかと思うと、日本に梅雨があってよかったとさえ思うのである。
 このように長い歴史の中で生まれたみそであるが、近年は食生活の多様化で味噌を使う人が減少している。時代の流れで仕方のない面もあるが、みその深い味わいをより多くの人に知ってほしいと思っている。

商品のPR

 商売をしていると、稀に新聞社や雑誌社の取材を受けることがある。話すことは苦手なのだが、商品の宣伝になると思って応じている。
 若い頃、雑誌社から電話がかかってきた。広告のセールスなのだが、話を聞いてみるくらいはいいだろうと電話に出た。「御社の製造なさっている”やまびこみそ”の特徴をお聞かせください」。いきなりだった。私はとっさに答えられず、電話口であるにもかかわらずしどろもどろになってしまった。こんな時、立て板に水、すらすらと自社商品のPRができたらどんなにいいだろうと思うのだが、うまく答えることができず臍を噛むことになった。
 世の中には、自信満々、堂々とした態度で商品の宣伝をする人がいる。うらやましいとは思うが、臆面もなく宣伝をしているようで居心地が悪い。商品には自信があるが、モノつくりはあくまでもいい商品をつくることが本筋で、宣伝広告は二の次だろうと思ってしまうのである。実際、「絶品」だの「究極の味」だのという言葉につられてつい商品に手を出し、後でがっかりということも多い。しかし、ハッタリや虚仮おどしは論外としても、この情報化時代に広告宣伝をしないわけにもゆかない。私は商品のパンフレットを作ることにした。
 汝自身を知れ―ソクラテスの言葉だが、人間は案外自分のことを知らないものだ。そのつてで言えば、自分の作る商品についても、言葉で説明するとなるとこれがなかなか難しい。
 一般にみその評価は「色・香・味・組成」の4項目から判断される。しかしこの基準は大多数の消費者の方にはわかりにくいのではないだろうか。私は工場の立地環境などを含めた大きなくくりで紹介文を書き、パンフレットを作った。以下はその内容である。

壱、山里の美しい水と澄んだ空気が育てています
弐、昔ながらの製法で丁寧に作られています
参、米こうじたっぷりの”こうじみそ”です
四、さっぱりした素朴な風味で具をひきたてます
伍、健康によい 伝統の無添加自然食です

 やや抽象的な表現になったが、パンフレットを作ってからはこの中から言葉を選んでその都度答えることにしている。ただ、言葉でいくら飾りたててみてもメッキはすぐに剥がれてしまう。 あくまでも”みそ”そのもので勝負する。その点だけはいつも肝に銘じている。
 パンフレットには、私の好きな老子の言葉を引用した。老子は2500年前の中国の思想家である。「無為而無不為」―なすなくして なさざるなし、と読む。あまり手を加えないことが、そのものの持ち味をよく引き出すという意味である。愚直に丁寧にみそを作る、そしてあとは余計な手を加えず、自然にまかせて熟成を待つ。これがみそ作り職人としての私の座右の銘である。
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