当店の工場の前には足羽川という川が流れており、その向こうには水田がある。当集落では5月の20日頃から月末にかけて田植えが行われるのだが、その苗が現在(7月中旬)40~50㎝くらいに成長して、一面の緑になっている。この辺は中山間地域なので、昼夜の気温差が大きくおいしい米が収穫できる。主にコシヒカリが作付けされているが、この米がこうじになり、みそになる。
 みそは大きく米味噌、麦味噌、豆味噌の3種類に分類されている。主原料は大豆であるが、そこに米こうじを加えると米味噌、麦こうじを加えると麦味噌、豆こうじを加えると豆味噌になる。当店では創業以来、一貫して米こうじを配合した米味噌を作り続けている。麦味噌も豆味噌もそれぞれ個性があっておいしいが、米どころの北陸に育った私はなんといっても米味噌が一番おいしいと思っている。そして米味噌には長い冬、深い雪を耐え抜く知恵が脈々と流れていると思う。
 ところで、日本で稲作が始まったのは紀元前4~5世紀、それとともに弥生文化が始まったと言われている。弥生人は稲穂を臼と杵で脱穀し、米は深鍋(かめ)で炊き、高坏(たかつき)と呼ばれる台付きの皿か鉢に盛って手づかみで食べていたと言われている。ではみそはいつ頃から食べられていたのか。この件についてはほとんど資料が残っていないのが実情である。ただ白鳳時代には「醤(ひしお)」という中国渡来の調味料があったと言われており、これが奈良・平安時代に「未醤(みしょう)」となり「みそ」になったのではないかと言われている。どちらにしてもはっきりとした資料はなく、憶測の域を出ない。みそが一般的に普及していったのは、戦国時代に兵士の貴重な食料となってからである。
 それにしても、どんな食べ物も最初に食べた人は勇気がある。こうじはこうじカビからできるが、どちらにしてもカビであることに変わりはない。稲穂に発生したこうじカビが、何かの原因で瓶の中の蒸し米に付着しこうじになる。それを恐る恐る食べてみたら、これが甘くておいしい。それならばと意識的にカビを増殖させて大量に作り始める。これがこうじ作りの起源ではないかと私は想像しているのだが、こうじカビを最初に口にした人には感謝を禁じ得ない。梅雨はじめじめしてうっとうしい季節だが、米がこうじになったのがこの季節ではないかと思うと、日本に梅雨があってよかったとさえ思うのである。
 このように長い歴史の中で生まれたみそであるが、近年は食生活の多様化で味噌を使う人が減少している。時代の流れで仕方のない面もあるが、みその深い味わいをより多くの人に知ってほしいと思っている。