みそを仕込む

 みその”仕込み”作業は、こうじ作りなどと比べるといたって単純である。蒸し煮した大豆にこうじと塩を混ぜ、それをチョッパーという機械で潰して杉の木桶やステンレスタンクなどにつめ込み、熟成させる。半年もするとおいしいみその出来上がりである。原料の配合割合は時代とともに変化してきた。塩分は低くなり、こうじの量は増えた。仕込みの容器は、衛生上の問題もあって杉の木桶からFRP、ステンレスに変わってきた。しかし基本は今も変わらない。
 現在、この仕込みの工程はかなり機械化されていて、特筆するようなことはない。そこで私が伝え聞いている昭和初期、祖父の時代のみその仕込みの様子を書いてみたい。
 まず、米蒸しに使うかまどの上の大きな鉄釜で、一晩水につけた大豆を半日ほどかけて煮る。一度に一斗(約13kg)の大豆を煮たということだ。この量の大豆で40kgくらいのみそができる。大豆が親指と小指でつまんで潰れるくらい柔らかくなったら火を止める。この目安は現在も変わらない。煮た大豆は人肌まで冷まして、半切(はんぎり)の桶に入れる。半切とは、膝の高さくらいの大きなタライのようなもののことである。その中にこうじ蓋からこうじを崩して入れ、さらに塩を加えて手でよく混ぜ合わせる。大豆と塩とこうじがよく混ざったところで、今度はそれを餅つきの臼の中に移し、杵で押すようにしてまんべんなく潰す。大豆が原形をとどめなくなったら、今度はそれをソフトボールの球くらいの大きさに丸めてみそ玉を作り、塩をふっておいた木の桶につめ込んでゆく。この時注意しなければならないのは、空気の混入だ。空気が入るとカビの原因になり、風味が損なわれる。作業が終わったら表面に塩をふり、セロファンやポリエチレンのフィルムをかぶせて押し蓋をのせ、その上に重石をのせる。重石は、押し蓋の上に液がにじみ出る程度でよい。あまり重すぎると水分が少なくなってみそがパサついてしまうので、上溜り液を見ながら調節する。桶は蔵で保存していた。
 一昔前、田舎ではどこの家にも蔵があり、蔵の中には2斗樽(40kg)や4斗樽(80kg)が所狭しと並んでいた。みそしょうゆはもとより、みそ漬け、ぬか漬け、梅干しなどが貯蔵されていた。子供の頃、蔵の引き戸を開けると、饐えたようなカビ臭い匂いが鼻を突いた。芳香剤に慣れた現代人には悪臭と感じられると思うが、私にはどこか懐かしい匂いに思える。今はそういう蔵も少なくなってしまった。
 祖父の時代には、みその塩分は20%近くもあった。仕込みの終わったみそは、早くても1年、長いときは2年、3年と熟成された。2年みそ、3年みそと言われるゆえんである。現在このようなみそはあまりないであろう。私が子供の頃は、淡色のみそではなく赤褐色でつやがあった。現在は甘口のみそが大半で、甘口に慣れた舌にはピリッと辛く感じられると思うが、そのかわりにコクとうまみは格別であった。

甘酒をつくる

 雪の降る寒い日に、こたつに入って熱い甘酒をすする―甘酒というとこんなイメージだろう。甘酒は冬の飲み物、あるいは桃の節句にお雛様に供える子供の飲み物、そんな風に思っている人は多いだろう。ところが意外なことに、甘酒は夏の飲み物なのである。その証拠に、俳句では「甘酒」は夏の季語になっている。テレビの時代劇で、茶店の軒先に甘酒のちょうちんがかかっているのを見ることがあるが、江戸の庶民は暑い夏に甘酒を飲んでいたのである。糖分や水分を摂取できる、夏バテ予防の栄養ドリンクとして飲まれていたのだろう。
 こうじ屋の作る甘酒は、酒粕も砂糖も含まない、いたってシンプルな飲み物である。以前、関西出身の方と話をしていて、ノンアルコールの甘酒があるなんて知らなかったといって驚かれたことがある。甘酒も、地方によって作り方はいろいろなのである。
 作り方もまたいたって簡単で、米を粥状にしてその中にこうじを加え、60℃で7~8時間保温すれば出来あがる。米は2合か3合、こうじは5合くらいだ。モチ米を使えばより甘いものができる。甘酒作りで注意しなければならないのは品温管理である。甘酒は、こうじに含まれるアミラーゼという糖化酵素によってでんぷんが糖化されて作られるが、この酵素の適温は55~65℃である。これより高くなると酵素は活性を失い、低くなると乳酸菌が増殖して酸っぱくなってしまう。これさえ守れば誰でも簡単に作ることができる。もっと早く作りたいと思ったら、こうじとお湯だけで作ることもできる。こうじに倍の量のお湯を加え60℃に保温しておけば、7時間くらいで甘酒になる。一昔前は米が貴重品だったのでこんな贅沢な作り方はしなかったが、今はこの方法で作る人も多い。
 甘酒というと、亡くなった母親のことを想い出す。母親は甘酒が好きで、冬になるとよく甘酒を作って飲んでいた。戦後の食糧難の時代に育ったので、甘酒は唯一の甘い飲み物だったのである。私はというと、子供の頃はあまり飲んだ記憶がない。お菓子やジュースなど、甘い食べ物・飲み物が出回り始めたからである。

みそと桜と日本人

 岐阜県境に聳え立つ冠山、大野市との境をなす部子山、周囲を山々に囲まれた風光明媚な山里―これはパンフレットの紹介文だが、当店は福井市の東南に位置する池田町で、こうじやみそを作り続けている。山間地なので雪が多く、3m近く積もることもある。ただ近年は降雪量にばらつきがあり、地球温暖化の影響ではないかと思っている。2009年、2010年は続けて大雪に見舞われ、毎日雪かきに追われた。かと思えば一昨年、昨年は雪が少なく、1度も屋根の雪下ろしをしなかった。
 さて、そのような山里に暮らしているので、春はとても待ち遠しい。そして春といえばなんといっても桜である。私の住む集落でもソメイヨシノが満開を迎えているが、私は華やかなソメイヨシノよりも、どちらかというと山桜が好きである。花と葉が同時なので淡い印象を与えるが、山桜には落ち着いた雰囲気がある。
 この季節、私には密かな楽しみがある。山桜の花びらを10枚ほどもらってきて、味噌汁の椀の上に浮かべてひとり悦に入るのである。できれば具の少ないみそ汁がいい。刻んだ薄揚げや豆腐が2、3個入っているくらいでいい。花びらを浮かべると、味噌汁は一瞬華やぐ。私は風流人ではないが、この時ばかりは平安貴族の心境だ。みそ汁の上に浮かぶ桜の花びらを眺めながら、とりとめもないことを考える。
 ここからは少々我田引水になる。古来日本人はみそと桜を愛してきた。発酵食品であるみそやしょうゆは、じっくりと熟成させることに本領がある。かたや桜は満開から散るまでがあっという間で、特にその散り際が美しいとされている。一方は地味で目立たない脇役だがなくてはならぬものである。他方、桜は華やかで妖艶でさえある。日本人はこの双方を大切にしてきたのである。それがなぜなのか私にはわからないが、日本の風土と日本人の気質に合っているということだろう。
 桜の季節が終わると、山里にトラクターのエンジン音が響き始める。
プロフィール

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