岐阜県境に聳え立つ冠山、大野市との境をなす部子山、周囲を山々に囲まれた風光明媚な山里―これはパンフレットの紹介文だが、当店は福井市の東南に位置する池田町で、こうじやみそを作り続けている。山間地なので雪が多く、3m近く積もることもある。ただ近年は降雪量にばらつきがあり、地球温暖化の影響ではないかと思っている。2009年、2010年は続けて大雪に見舞われ、毎日雪かきに追われた。かと思えば一昨年、昨年は雪が少なく、1度も屋根の雪下ろしをしなかった。
 さて、そのような山里に暮らしているので、春はとても待ち遠しい。そして春といえばなんといっても桜である。私の住む集落でもソメイヨシノが満開を迎えているが、私は華やかなソメイヨシノよりも、どちらかというと山桜が好きである。花と葉が同時なので淡い印象を与えるが、山桜には落ち着いた雰囲気がある。
 この季節、私には密かな楽しみがある。山桜の花びらを10枚ほどもらってきて、味噌汁の椀の上に浮かべてひとり悦に入るのである。できれば具の少ないみそ汁がいい。刻んだ薄揚げや豆腐が2、3個入っているくらいでいい。花びらを浮かべると、味噌汁は一瞬華やぐ。私は風流人ではないが、この時ばかりは平安貴族の心境だ。みそ汁の上に浮かぶ桜の花びらを眺めながら、とりとめもないことを考える。
 ここからは少々我田引水になる。古来日本人はみそと桜を愛してきた。発酵食品であるみそやしょうゆは、じっくりと熟成させることに本領がある。かたや桜は満開から散るまでがあっという間で、特にその散り際が美しいとされている。一方は地味で目立たない脇役だがなくてはならぬものである。他方、桜は華やかで妖艶でさえある。日本人はこの双方を大切にしてきたのである。それがなぜなのか私にはわからないが、日本の風土と日本人の気質に合っているということだろう。
 桜の季節が終わると、山里にトラクターのエンジン音が響き始める。