商売をしていると、稀に新聞社や雑誌社の取材を受けることがある。話すことは苦手なのだが、商品の宣伝になると思って応じている。
若い頃、雑誌社から電話がかかってきた。広告のセールスなのだが、話を聞いてみるくらいはいいだろうと電話に出た。「御社の製造なさっている”やまびこみそ”の特徴をお聞かせください」。いきなりだった。私はとっさに答えられず、電話口であるにもかかわらずしどろもどろになってしまった。こんな時、立て板に水、すらすらと自社商品のPRができたらどんなにいいだろうと思うのだが、うまく答えることができず臍を噛むことになった。
世の中には、自信満々、堂々とした態度で商品の宣伝をする人がいる。うらやましいとは思うが、臆面もなく宣伝をしているようで居心地が悪い。商品には自信があるが、モノつくりはあくまでもいい商品をつくることが本筋で、宣伝広告は二の次だろうと思ってしまうのである。実際、「絶品」だの「究極の味」だのという言葉につられてつい商品に手を出し、後でがっかりということも多い。しかし、ハッタリや虚仮おどしは論外としても、この情報化時代に広告宣伝をしないわけにもゆかない。私は商品のパンフレットを作ることにした。
汝自身を知れ―ソクラテスの言葉だが、人間は案外自分のことを知らないものだ。そのつてで言えば、自分の作る商品についても、言葉で説明するとなるとこれがなかなか難しい。
一般にみその評価は「色・香・味・組成」の4項目から判断される。しかしこの基準は大多数の消費者の方にはわかりにくいのではないだろうか。私は工場の立地環境などを含めた大きなくくりで紹介文を書き、パンフレットを作った。以下はその内容である。
壱、山里の美しい水と澄んだ空気が育てています
弐、昔ながらの製法で丁寧に作られています
参、米こうじたっぷりの”こうじみそ”です
四、さっぱりした素朴な風味で具をひきたてます
伍、健康によい 伝統の無添加自然食です
やや抽象的な表現になったが、パンフレットを作ってからはこの中から言葉を選んでその都度答えることにしている。ただ、言葉でいくら飾りたててみてもメッキはすぐに剥がれてしまう。 あくまでも”みそ”そのもので勝負する。その点だけはいつも肝に銘じている。
パンフレットには、私の好きな老子の言葉を引用した。老子は2500年前の中国の思想家である。「無為而無不為」―なすなくして なさざるなし、と読む。あまり手を加えないことが、そのものの持ち味をよく引き出すという意味である。愚直に丁寧にみそを作る、そしてあとは余計な手を加えず、自然にまかせて熟成を待つ。これがみそ作り職人としての私の座右の銘である。
若い頃、雑誌社から電話がかかってきた。広告のセールスなのだが、話を聞いてみるくらいはいいだろうと電話に出た。「御社の製造なさっている”やまびこみそ”の特徴をお聞かせください」。いきなりだった。私はとっさに答えられず、電話口であるにもかかわらずしどろもどろになってしまった。こんな時、立て板に水、すらすらと自社商品のPRができたらどんなにいいだろうと思うのだが、うまく答えることができず臍を噛むことになった。
世の中には、自信満々、堂々とした態度で商品の宣伝をする人がいる。うらやましいとは思うが、臆面もなく宣伝をしているようで居心地が悪い。商品には自信があるが、モノつくりはあくまでもいい商品をつくることが本筋で、宣伝広告は二の次だろうと思ってしまうのである。実際、「絶品」だの「究極の味」だのという言葉につられてつい商品に手を出し、後でがっかりということも多い。しかし、ハッタリや虚仮おどしは論外としても、この情報化時代に広告宣伝をしないわけにもゆかない。私は商品のパンフレットを作ることにした。
汝自身を知れ―ソクラテスの言葉だが、人間は案外自分のことを知らないものだ。そのつてで言えば、自分の作る商品についても、言葉で説明するとなるとこれがなかなか難しい。
一般にみその評価は「色・香・味・組成」の4項目から判断される。しかしこの基準は大多数の消費者の方にはわかりにくいのではないだろうか。私は工場の立地環境などを含めた大きなくくりで紹介文を書き、パンフレットを作った。以下はその内容である。
壱、山里の美しい水と澄んだ空気が育てています
弐、昔ながらの製法で丁寧に作られています
参、米こうじたっぷりの”こうじみそ”です
四、さっぱりした素朴な風味で具をひきたてます
伍、健康によい 伝統の無添加自然食です
やや抽象的な表現になったが、パンフレットを作ってからはこの中から言葉を選んでその都度答えることにしている。ただ、言葉でいくら飾りたててみてもメッキはすぐに剥がれてしまう。 あくまでも”みそ”そのもので勝負する。その点だけはいつも肝に銘じている。
パンフレットには、私の好きな老子の言葉を引用した。老子は2500年前の中国の思想家である。「無為而無不為」―なすなくして なさざるなし、と読む。あまり手を加えないことが、そのものの持ち味をよく引き出すという意味である。愚直に丁寧にみそを作る、そしてあとは余計な手を加えず、自然にまかせて熟成を待つ。これがみそ作り職人としての私の座右の銘である。